結局、私は王子の要求を断り切れずにフェルセン大臣の元へと向かった。あんなにかわいくお願いされてしまえば、断ることなんてできない。私の一番の弱点は、きっと王子自身……。
歩きながらもため息が出る。どうしたらいいのか、わからない。
私のこの謎の記憶が正しければ、王子は明日の視察で敵に襲われることになる。それを防ぐためには、通例に従い、軍を引き連れた視察に切り替えるしかない。でも、それができない今は──。
今からもう一度王子の説得に……? いや、王子にお願いされたら断り切れる自信がない。私が身をていして守れば──いや、私一人でどうにかできる相手ではない。
なにか突破口は? 王子の要求を呑みつつ、ことが穏便に済むような──敵の襲来を防げる方法は。
ダメだなにも浮かばない! 私は、どうしたらいいんだぁあああ!!!
「ど、どうかなさいましたかアールグレン様?」
「し、神官殿……」
取り乱していたところを見られてしまった。わけのわからない状況に頭を抱えていた瞬間を……!
姿勢を正すと、私はなにごともなかったように咳払いをしてごまかす。……神官は眉をひそめたまま私に視線を注いでいる。ごまかしきれていない。
「いや、その……ぞ、賊が」
「賊? ああ、成人の儀に乗じて王宮に忍び込んだ賊ですね。なんでもアールグレン様がお一人でつかまえたとか」
神官が柔和な笑顔に変わる。ごまかすことに成功したらしい。賊のことなんて悩んでいなかったけど。
「ええ、すぐに発見できて幸いでした。王子の晴れの舞台を汚すわけにはいきませんでしたので。では」
と、そのまま目礼をして通り過ぎようとした私を神官は引き止める。恥ずかしいから、早く行きたいのだけれど。
「ところで、賊に一人まだ幼い女の子がいたとか。しかも手の甲に火の紋章を宿していたと聞いています」
ああ、フリーダのことか。神官も幼い女の子に見えたということは、やっぱり、子どもに見えるのは私だけではないらしい。あいつは──いや、待って。
「かわいそうに。魔法の才があったから賊にさらわれたのでしょうね」
「神官殿! 申し訳ないですが、急用を思い出しましたので失礼します!」
「あ、アールグレン様!」
私は急いで地下へと降りていった。他の賊とともにフリーダが捕まっている牢屋に。
まずは現状を把握しないといけない。なぜ、私は記憶が二重にあるのか。これから起こるはずの出来事を知っているのか。それを明らかにするのが先決だ。
だが、私に変な記憶があるなんてことを誰かに相談すれば、間違いなく変な顔をされるだろう。もしかしたら、精神に失調を来していると判断されて秘書官の任から降ろされてしまう可能性もある。
誰にも相談できないと思っていたが、あのフリーダにならば話せるかもしれない。
『私は、フリーダ・ルフナ。王子を守る最強の紋章士になる予定よ』
階段を降りながら嫌な記憶がよみがえり、またため息が漏れた。引き返そうか迷ってしまう。
『えっ……マリク王子、やばっ! カッコいい!』
フリーダは王子に近づこうとする不届きものだった。
だが、背に腹は代えられない! 王子を危険にさらすよりはマシだ!
階段を降り終わると、慌ただしく扉を開けて名を叫ぶ。
「フリーダ! フリーダ・ルフナはいるか!?」
「……え……誰!?」
目立つ赤い髪を二つ縛りにしたフリーダはちょこんとイスに座ると、のんきにりんごをかじっていた。牢の中ではなく、外で看守の横に座っている。つまり、捕まっていない。
「な、なぜお前は牢の外に出ているんだ!?」
結局、私は王子の要求を断り切れずにフェルセン大臣の元へと向かった。あんなにかわいくお願いされてしまえば、断ることなんてできない。私の一番の弱点は、きっと王子自身……。 歩きながらもため息が出る。どうしたらいいのか、わからない。 私のこの謎の記憶が正しければ、王子は明日の視察で敵に襲われることになる。それを防ぐためには、通例に従い、軍を引き連れた視察に切り替えるしかない。でも、それができない今は──。 今からもう一度王子の説得に……? いや、王子にお願いされたら断り切れる自信がない。私が身をていして守れば──いや、私一人でどうにかできる相手ではない。 なにか突破口は? 王子の要求を呑みつつ、ことが穏便に済むような──敵の襲来を防げる方法は。 ダメだなにも浮かばない! 私は、どうしたらいいんだぁあああ!!!「ど、どうかなさいましたかアールグレン様?」「し、神官殿……」 取り乱していたところを見られてしまった。わけのわからない状況に頭を抱えていた瞬間を……! 姿勢を正すと、私はなにごともなかったように咳払いをしてごまかす。……神官は眉をひそめたまま私に視線を注いでいる。ごまかしきれていない。「いや、その……ぞ、賊が」 「賊? ああ、成人の儀に乗じて王宮に忍び込んだ賊ですね。なんでもアールグレン様がお一人でつかまえたとか」 神官が柔和な笑顔に変わる。ごまかすことに成功したらしい。賊のことなんて悩んでいなかったけど。「ええ、すぐに発見できて幸
「ふぅ……終わったよ。ティナ。そっちはどうだった?」 私は、淹れたばかりの紅茶を王子の座るテーブルに2人分置いた。心のうちを読み取られないように固い表情のままに王子の質問に答える。「お疲れ様でした、王子。成人の儀は滞りなく終わったようで。こちらも首尾よく終えることができました」 本当はまったく順調じゃないけれど……。ただ、客観的に見れば城内に侵入した賊を一網打尽にしたことになっている。「そうか──」 重い鎧を脱ぎ捨て簡素な召し物に着替えた王子は、さっそくイスに座るとティーカップを持ち上げた。 私の入れた紅茶が王子の柔らかそうな唇を経由し、口の中に入っていく。気づかれないようにそっと根詰めていた息を吐くと、私も紅茶を口にする。「美味しい」「ありがとうございます」 その言葉だけで救われる気持ちになった。とりあえず、今、私が王子とともにいる状況は変わらないのだから。 王子はティーカップを置くと、心配そうに視線を合わせてきた。うぐっ……く、至近距離で二人きりで──あー落ち着けティナ!「──でも、報告だと牢屋に賊が入ったって」 目は逸らさない。真面目な話題だ。平静を装って受け答えしなければ!「は、はい。ですが、予想はできていたことだったので、適切に対処致しました。幸い死者は出ておりません」 ウソは吐いていない……か? 記憶がよみがえり、賊の予想ができていたのは本当だし。「そうか。だけど──」 王子はなぜか神妙な面持ちで私を見た。瞳の中に多少の揺らぎが見える。 ま、マズい! この後の記憶、見たことがある! 王子は私を──。「ティナ。君は無事なのか? ケガなどはどこにもなく?」 そう、心配してくれたんだ! 王子が私を気にかけてくれている! ふだんニコニコしているだけに、真面目な顔に切り替わる瞬間のギャップがたまらない──じゃない。「はい。問題ございません」 私は表情を変えずにそう答えた。「そうか。それならいいんだけど」 ホッとした顔をすると、王子はまたティーカップを手にしてゆっくりと紅茶を味わっている。 あぁ。ずっとこうして向かい合って紅茶を飲んでいたい。できれば他愛もない話をしたり、声を出して笑い合って時を過ごしたい。 でもしかし、私は秘書官だ。これから始まる王子の公務を滞りなくサポートするのが私の役目。王子への思いも、この不
「くっそ、こいつ!」 床にたおれた大男はガバっと起き上がると、落とした斧を拾った。片手斧だ。威力は低いが小回りがきく。 私の記憶ではたしか、「秘書官かなにか知らねぇが!」とかなんとか言って、片手斧を上段から力任せに振り下ろしてきたはずだ。「秘書官かなにか知らねぇが! くらいやがれ!」 予想通りの台詞とともに振り下ろしてきた斧の刃に、剣の刃をかみ合わせる。滑らせるように斧の一撃をさけ、隙をついて大男の後ろへと回る。そして、頭を思い切り蹴った。 男は気を失ったまま後ろへと倒れていく。これでこの男はノックダウンだ。 残り、牢屋で身構えているのは──たしか3人。賊の加勢は来ない。そして、部屋の隅に固められていた2人の看守は縄で縛りつけられているだけで意識はある。 記憶のことは気にかかるけど、やっぱり賊をつかまえるのが先決。集中しないと。「くそっ! あいつ、小柄のくせに強いぞ! でも、2人掛かりでやればなんとか!」 細身の2人の男が剣を上段に構えたまま走り寄ってくる。 前も聞いたけど、その言葉は気に入らないな。小柄のくせに強いんじゃない。小柄だから強いんだ。どれだけ修練を積んだかわからないだろう。 私は、一度身体を深く沈ませた。目の前に2本の剣が重なる。そのタイミングで剣を振り上げる。下から軽く小剣で叩けば、剣は持ち主の手を離れて床へと突き刺さった。 そして、問題は次──。 体が熱くなるのを感じて、上空へと跳び上がる。顔の横を子猫ほどの大きさの小さな火球が通り過ぎていった。 やっぱり……いるんだよね。紋章士《もんしょうし》のフリーダが。
「街の様子はどうだ?」 こう聞くと、兵士は『王子の成人を祝う町民たちで賑わっていますが、今のところ怪しい動きはなさそうです』と返してくる。記憶のなかにある声と、後ろから聞こえる声が重なって聞こえた。「了解した。では、引き続き王子の警護を頼む」「了解。しかし、アールグレン様はどこへ?」「私は、一つ心当たりがあるのでな。では、失礼」 兵士は兜の下からきょとんとした顔をのぞかせたが、すぐに元の配置へと向かった。それを見届けてから私は小走りでとある場所へと向かう。 一度見た光景が同じようにくり返される。理由はわからない。だけど、今は「賊」をとらえるのが先決。 混乱する頭を落ち着かせ、私は地下へと降りていった。* 成人の儀の喧騒とは打って変わって静寂に包まれた薄暗い階段を降りていく。足音はわざと革靴の音を立てていた。靴の音に怖気づき逃げていくならそれでいい。 もちろん、私の思い過ごしであるならばそれにこしたことはない。賊は一人も現れず、王子の成人は平和に和やかに国中の皆に祝福された。最も素晴らしい理想的な形だ。 だが、今日は王子がいよいよ公職に就かれる成人の儀。国に異を唱える者にとっては、王子を襲撃し、国の威信をおとしめる絶好の機会となる。 ──なんて初仕事だから、格好つけて思っていたら本当にいたんだよね、賊が。「看守長! 見回りだ!」 牢屋への扉が近付いたので、私はわざと大声を張り上げた。記憶と違ってくれと願いながら。 でも。やっぱり返事はない。つまり──。 なかから斧が飛んでくる音が聞こえて、後ろへ跳
「……いったい、なにが起こっているの?」 私は頭を抱えたまま、王子が座るイスの向かい側に腰かけた。イスの感触に、山並みに描かれた絵画、見慣れたソファにベッド、そして心を落ち着かせるウッドの香り。 この部屋に入るのは3回目なのに、なぜか何カ月も過ごしたような安心感があった。「とにかく、状況を整理しないと」 記憶を一つ一つたどっていく。 私は、王子の秘書官だ。マリク・ベルテーン王子。この国の第一王子で、私がずっと仕えたいと夢見ていた人。 王子は……優しい。優しいというか、とっても優しい。男女隔てなく、年齢関係なく、人も動物もすべての生き物に慈愛の目を向けているような感じ。 初めて王子に出会ったとき、今まで見てきたなかでだれよりも澄んだ瞳だと思った。柔和な笑顔に優しい声色。私の名を呼んでくれる度に、鼓動が高鳴ると同時になぜか心地よさを感じていた。 思えば、私はそのときから王子のことを──。「……いや、待て」 王子の思い出にふけっている場合じゃない! 私は頭を振った。 ……とにかく私は、王子に仕えるためにここまでやってきた。 一平民で孤児院出身でなんの後ろ盾もないから、剣の腕を磨いて軍に入った。男だらけの場所で文字通り血と汗にまみれながら、剣を振るってきた。 そして、晴れて成人となる王子を支える秘書官として、抜擢された──これが今日までの記憶のはずだけど。「おかしい」
なぜ……? どうして……? 真っ暗闇のなか、大粒の雨が降っていた。降りしきる雨は、でも、血を洗ってはくれない。 ──王子の傷を治してはくれない。「王子! マリク王子!!」 胸を貫いた剣はそのままに、地面にたおれた王子の名前を呼ぶ。 暗闇のような空洞の瞳が私を見つめていた。指も唇も動かず、雨に打たれるまま。赤い水たまりが王子の体の周りに広がっていく。 即死だった。剣で心臓を一突き、驚愕の表情のままに王子はたおれ、そして絶命した。 殺したのは──私だ。 なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ!?「どうして!?」 思い返しても、はっきりとは思い出せなかった。ただ、ぼんやりとした意識の中で私は剣を取り、振り向きざまに王子の胸を突き刺していた。 体の震えが止まらない。現実に起こったこととはとうてい思えなかった。でも、両手には、雨でも流れ落ちていかない真っ赤な血。 血。呪い。呪われた血。「やはり私は、王子のそばにいるべきではなかった」 震えた手で剣を握り締めると、私は立ち上がった。「王子と関わるべきではなかった」 王子の体から一気に刀身を引き抜く。「私は、とうの昔に死ぬべきだった」 剣の切っ先を自分に向けて、迷うことなく胸を貫く。「うぁあああああああああああ!!!!!!!!!!」 今まで味わったことのない激痛が体